日本的ソーシャルメディアの未来(濱野智史、佐々木博共著) 最近ではソーシャルメディアと呼ばれているものが少し前までネットコミュニティと呼ばれていた。社会学的にはコミュニティとソサエティは次のように別の概念だとする。
<コミュニティ>というのは、具体的な例で言うと地域共同体とか家族共同体とか-これは家族のことですね-要するに狭くてローカルな範囲の人間集団を指します。
これに対し、<ソサエティ>というのは、具体的なイメージでいえば「都市」なんですね。広範囲の場所に、たくさんの見知らぬ人々が集まっている場所。あるいは「市場」。ここでは「いちば」と読むほうの「市場」でイメージしてもらえばいいと思うんですが、見知らぬ人々が遠くから集まってきて物を売り買いする場所、それが「市場」です。マルクスの有名な言葉に、「市場は共同体とと共同体のあいだに発生する」というのもあるのですが、まさにそれです。あるいは「国民国家」。要するに「日本」とか「アメリカ」といった社会集団。これは普通は<ソサエティ>と呼びます。
そして日本社会を欧米の個人主義に立脚した<ソサエティ>ではなく、<コミュニティ>の論理が先に立つ集団主義とし、ソーシャルメディアを使っても内輪のコミュニティで固まる。XXXクラスタと呼ばれる属性で群れる。つまり何らかの集団に所属して始めて自分が存在するとし、場とか関係性によってキャラを使い分けていると説くのだ。
「日本人の集団は村社会でその集団の中では均一性が要求される」とはよくある言説だが、キャラを使い分けているとの表現はとても腹におちる表現だ。日本人がソーシャルメディアなどで匿名を使う理由も、社内SNSが盛り上がらない理由もこの一言でとてもよく分かる。多くの日本人は会社では部長で、家庭ではやさしいパパ、学生時代の友人の間では非モテw、バンド仲間にはメタラー等様々なキャラを使い分けているのだ。
本書では「日本社会は今後<ソサエティ>として成熟していけるのか、それとも<コミュニティ>としての側面をしぶとく残していくのか」とある。まだまだ、自営や経営者そして外資系の方が多い、実名、顔写真でのソーシャルメディア(TwitterやFacebook)の利用だが、これらの普及が、日本の<ソサエティ>が成熟するときだ。
対談形式なので若干散漫な印象があるが、日本社会に於けるソーシャルメディアについてとても鋭い考察を展開し、<ソサエティ>の成熟へ向かう一助となるべく知恵を絞りたいと改めて考えさせられた好著です。